刀語 第1話

アニメ刀語見たので感想をば。

原作の絵がそのまま動いてる感じ、最初は少し違和感あったけど始終安定しててよかった、かな。

西尾維新お得意の会話劇の雰囲気がよくでてたと思います。小屋のシーン、ゆったりとしたカメラ回しと声優さんたちの危なげない演技に引き込まれたって感じ。敵キャラの雰囲気もいかにも西尾って感じのクレイジーさがw

演技は特によかったかと。主人公役の細谷さんはあのキャラをよく出せていたと思うし、ゆかりん、中原さん、適役の鈴木さんも違和感ない演技で、ね。ゆかりんかわいいです。

西尾アニメ第一弾となった「化物語」は、彼の作品の中でも遊び要素の前に出た変わり種だし、手がけた制作会社シャフトさんも個性の強いところなので、作品はよくできていたけれど、この「刀語」のほうが西尾テイストを感じられたかも。

1時間アニメはいいですね、キリ良く終わるし映画ほど長くはない。次回に期待です。シリーズ構成の上江洲さんにも期待です。

…あー、大学入試が近いw

漫画の読み方?

漫画の内容的な話ではありません。あしからず。


本を読んでいてふと気になった文章があった。
「コママンガをはじめて読む人が、どの順序でコマを追うのやら、あなたがそれなりの年齢であれば当惑するのが当然だ。…(以下省略)」(辻真先『アニメとはなにか』松籟社

 なるほど、と思った。子供の時から漫画に親しんでいる僕ら世代にとっては、どのコマがどう繋がるかなんてのはあまり意識せずに読んでしまう。
 そういえば、最近刊行されている「藤子・F・不二雄全集」の中でも、雑誌掲載当時の原稿をそのまま載せた作品では、コマに番号が振ってある。なるほど、新聞を読むのに慣れていない子供は変則的な記事組みについていけなかったりするし、本を読みなれていない人ならば二段組の単行本を読み進めるのに最初とまどったりするような、そんな感覚があるのかもしれない。
 僕はそれほど漫画っ子ではなかったけれど、幼年期の記憶を辿ってみても漫画を読むのに苦労したという記憶はない。なんというか、これは限りなく先天的能力に近い後天的能力なんじゃないだろうか。そして日本のエンタテインメントの重要な柱を漫画が担っている現代文化のあり方の基盤となっているのでは、とか壮大な説を立ててみたり。つい半世紀前に、手塚漫画の焚書事件があったなどという話はまるで真実味なく聞こえるものだ。

さらにいえば、「漫画世代」の申し子たちはコマとコマの間を補完する行為をより無意識的に行っているのではないかと思う。そうでなくちゃ、あんなに情報量のある「漫画」をスピーディに読むことは出来ないだろう。さらに漫画は、特に雑誌掲載のものは、読みたいものを取捨選択できる。そこらへんが、漫画がとても効率のいいエンタテインメントでいられる所以なのだと思う。
「何故、今、マンガが色んな文化に影響を与えてるかという、最大の特徴は何かと考えると、マンガというのは読みたくないものは読まないんです。(中略)マンガは読まないから腹立たないんです。それは最大の文化的特徴ですよ」(宮崎駿、1994年シナリオ作家協会の講演より)

ここまで適当な文章を書いてきて、特に何か主張があるわけではないのだけれど(おい)、やはり漫画はかなり自然に生活に溶け込んでいるなと思った。これからも面白い漫画にたくさん出会えることを祈ってます。